伝えたい事
2010年 07月 29日
自分が空手を始めてから早20年が経ちました。
その間、選手として、また、指導員としてたくさんの人と出会う事が出来ました。
入門した道場はとても厳しかったのですが、右も左もわからない私は空手ってこういうものなんだなぁと思い日々の稽古に通っていました。
私にとって、非日常的な厳しさが意外にも性に合っていたようで特別、苦しいとか、辞めたいと考えた事は一度もありませんでした。
しかし、新たに入門してくる人は短期間でどんどん辞める。。。
(根性ねえな!)などと心の中で思っていたのも事実ですし、肉体的、技術的に向上していくに伴い、自分はこの厳しさに負けずに勝ち残っているんだ!という驕りに近い自信を持つようになっていたのだと思います。
大会でも地方大会であれば良い成績も出せるようになってきて、道場での立場も師範代。
心の中では
俺がNO1だ!!(じゃなければいけない!)俺が!俺が!俺が!
後輩には負けてはいけない!負ける事は恥ずかしい!先輩なのに!黒帯なのに!・・・・・・・
成長してくる後輩を素直に認める事すら出来ない。。。
肉体的、技術的に強靭になったのに精神は空手を始める前よりも未熟に・・・。
気が付けば、寄らば切る!のオーラを纏い、心は狭い最低の人間になっていました。。。
ただ、自分にとって幸いだったのは身近に兄の裕樹や北見の越智先生のような人たちがいてくれた事でした。
この二人はとにかく優しい。
自分を無理やり大きく見せようとしたり、虚勢など絶対に張らない。
本当の意味での人間としての強さとは何なのか?何の為に空手をやってきたのか?を考え直すきっかけを与えてくれた二人でした。
空手を始める動機は色々でしょうし、目的を持つ事はとても大切です。
人はどうしても目に見える結果を求めてしまいがちです。
優勝する事や昇級・昇段などがそうだと思います。
私たち優至会の指導員がもっとも心がけている事は、空手を始める事によって何事にも前向きになれるように指導する事。それだけです。
決して大会のチャンピオンや達人を育成する事ではありません。
各々の意思でチャンピオンを目指したい!空手を追求したい!という方にはもちろん私たちが経験した事を指導させていただきますが、ずっと白帯のままでも良いわけです。
帯の色や段位などでその人の強さや人間性が向上するわけではありません。
とかく武道の世界の人には多いのですが空手の苦しさや厳しさを乗り越える事が出来たら、何でも乗り越える事が出来るかの様に指導しがちです。
しかし、それは空手の苦しさ、厳しさを乗り越えただけであって、社会には社会の、学校には学校の苦しさ、厳しさが存在するわけです。
空手を学んで、頑張ってる人を応援できない心になったり、人を恨んだり、妬んだりするようになるのならば空手などやらないほうが良いですよね。
声の小さかった子が入門数ヵ月後に声が大きく出せるようになったなら、極端な話ですが退会してもかまわないと本気で思っています。
選手として真剣にやってきた人間だからこそわかる事があります。良い面も悪い面も。
特に少年部の子ども達は指導者が大会を目指させれば、それを目標にします。わかりやすいですからね。
父兄の方も自分の子どもが勝ち進めば悪い気はしないでしょう。誇らしくも思うでしょう。
ですが非常に危険な要素もはらんでいます。
気が付けば、いつのまにか子どもが指導者や父兄の自己顕示欲の対象となり、本人の意思は置き去りになり、急かされるように大会が続き、勝つ事が義務化され、負ければまた次の大会を目指さなければいけないような強迫観念に駆られ・・・。悪循環。。。
当然、大人になる頃には空手の楽しさを忘れ辞めてしまいます。
だからこそ、経験してきた私たちが、その先になにがあるのかを伝えていかなければならないと考えます。
登山のガイドが登った事もない山を薦めるわけにはいかないですよね。
優至会の通常稽古では選手に特化したメニューは一切やりません。
初めての人、白帯の人を対象にした稽古がメインとなっています。
選手希望の人は完全に別コースにわけて指導しています。
笑顔をなくしてまで強さを求めてもまったく意味はありません。
これからも優至会は空手をきっかけに
笑顔になれる事だけを目指していきますので、何卒よろしくお願いいたします。
その間、選手として、また、指導員としてたくさんの人と出会う事が出来ました。
入門した道場はとても厳しかったのですが、右も左もわからない私は空手ってこういうものなんだなぁと思い日々の稽古に通っていました。
私にとって、非日常的な厳しさが意外にも性に合っていたようで特別、苦しいとか、辞めたいと考えた事は一度もありませんでした。
しかし、新たに入門してくる人は短期間でどんどん辞める。。。
(根性ねえな!)などと心の中で思っていたのも事実ですし、肉体的、技術的に向上していくに伴い、自分はこの厳しさに負けずに勝ち残っているんだ!という驕りに近い自信を持つようになっていたのだと思います。
大会でも地方大会であれば良い成績も出せるようになってきて、道場での立場も師範代。
心の中では
俺がNO1だ!!(じゃなければいけない!)俺が!俺が!俺が!
後輩には負けてはいけない!負ける事は恥ずかしい!先輩なのに!黒帯なのに!・・・・・・・
成長してくる後輩を素直に認める事すら出来ない。。。
肉体的、技術的に強靭になったのに精神は空手を始める前よりも未熟に・・・。
気が付けば、寄らば切る!のオーラを纏い、心は狭い最低の人間になっていました。。。
ただ、自分にとって幸いだったのは身近に兄の裕樹や北見の越智先生のような人たちがいてくれた事でした。
この二人はとにかく優しい。
自分を無理やり大きく見せようとしたり、虚勢など絶対に張らない。
本当の意味での人間としての強さとは何なのか?何の為に空手をやってきたのか?を考え直すきっかけを与えてくれた二人でした。
空手を始める動機は色々でしょうし、目的を持つ事はとても大切です。
人はどうしても目に見える結果を求めてしまいがちです。
優勝する事や昇級・昇段などがそうだと思います。
私たち優至会の指導員がもっとも心がけている事は、空手を始める事によって何事にも前向きになれるように指導する事。それだけです。
決して大会のチャンピオンや達人を育成する事ではありません。
各々の意思でチャンピオンを目指したい!空手を追求したい!という方にはもちろん私たちが経験した事を指導させていただきますが、ずっと白帯のままでも良いわけです。
帯の色や段位などでその人の強さや人間性が向上するわけではありません。
とかく武道の世界の人には多いのですが空手の苦しさや厳しさを乗り越える事が出来たら、何でも乗り越える事が出来るかの様に指導しがちです。
しかし、それは空手の苦しさ、厳しさを乗り越えただけであって、社会には社会の、学校には学校の苦しさ、厳しさが存在するわけです。
空手を学んで、頑張ってる人を応援できない心になったり、人を恨んだり、妬んだりするようになるのならば空手などやらないほうが良いですよね。
声の小さかった子が入門数ヵ月後に声が大きく出せるようになったなら、極端な話ですが退会してもかまわないと本気で思っています。
選手として真剣にやってきた人間だからこそわかる事があります。良い面も悪い面も。
特に少年部の子ども達は指導者が大会を目指させれば、それを目標にします。わかりやすいですからね。
父兄の方も自分の子どもが勝ち進めば悪い気はしないでしょう。誇らしくも思うでしょう。
ですが非常に危険な要素もはらんでいます。
気が付けば、いつのまにか子どもが指導者や父兄の自己顕示欲の対象となり、本人の意思は置き去りになり、急かされるように大会が続き、勝つ事が義務化され、負ければまた次の大会を目指さなければいけないような強迫観念に駆られ・・・。悪循環。。。
当然、大人になる頃には空手の楽しさを忘れ辞めてしまいます。
だからこそ、経験してきた私たちが、その先になにがあるのかを伝えていかなければならないと考えます。
登山のガイドが登った事もない山を薦めるわけにはいかないですよね。
優至会の通常稽古では選手に特化したメニューは一切やりません。
初めての人、白帯の人を対象にした稽古がメインとなっています。
選手希望の人は完全に別コースにわけて指導しています。
笑顔をなくしてまで強さを求めてもまったく意味はありません。
これからも優至会は空手をきっかけに
笑顔になれる事だけを目指していきますので、何卒よろしくお願いいたします。
by n_sakai_y
| 2010-07-29 09:46
| 空手